【横山験也のちょっと一休み】№.3159

今日も面白い一日でした。

なんと、オンラインが絶不調でした。
2回のミーティングがあり、その1回目は何とか入れました。
ところが、2回目はダメ。
結局、電話で話しました。

こういうことがあると、愉快な気分になります。

夕方には、ネットニュースで「体育座り」をやめて、椅子に座らせたという記事が出ていました。

体育座りは、私が小学校高学年か、中学校に通っていた頃に初めて体験した座り方です。
やらされている自分にしてみれば、妙な気分でした。
自分の足を自分の手で押さえているのですから、「手も足も出ない座り方」でした。
「だるまさんすわり」と言った方が適切な気分でした。
もう一つ、座り方が1つになって、好きに座れなくなったことです。それまで、自分なりに座っていたのですが、ある時から、この姿勢だけになり、「変なの」と思ったものでした。

私が小学生の頃は、50人学級でした。
子どもたちがひしめき合っていた時代です。狭い所で座ると、どうしても足や手が人とぶつかります。
そういう時代だったから、体育座りが誕生したのだろうと思います。
必要に迫られて生み出された一つの姿と思います。

この体育座りですが、背中を丸めて座るので、何か辛いことがあったときには、実に良く似合う座り方と思っていました。
また、寒い日には、体育座りをすると、少しは温まります。
辛くて、寒いときには、体育座り!
そう思えてくると、これからの人生に夢と希望を持っている子どもたちに勧められる座り方ではないですね。
やはり、「立要」です。
床に座った時でも、立要になる座り方を意識させることです。

古い本ですが、この本に、立要の10の功徳が載っています。
良い本です。

関連記事: