【横山験也のちょっと一休み】№.2822

ユーモア掲示物です。

廊下などにこれが貼ってあったら、子ども達はどう思うでしょうね。楽しんでくれるでしょうね。

ですが、この「お静カニ」は大事なところが抜けています。
「なぜ、静かにするか」という、静かにする理由です。

廊下に掲示するのでしたら、静かにする主な理由は、「教室での授業の邪魔をしない」となります。勉強をしている人たちのことを少しでいいから思いやって静かにすることが大切なのです。
理由も無く「静かにしましょう」と伝えるのは、ちょっと軽薄と感じられます。

ではと、「教室では勉強をしているので」と張り紙に書き加えるとどうなるでしょう。私のようなタイプは、「えっ、今、休み時間じゃん!」と思ってしまいます。
そういうひねくれ者もいるので、もう少し理由を明確にした方がよさそうです。

「教室で勉強をしている時には」と書いたらどうでしょう。でも、これも、勉強していない時なら、大きな声を上げてもいいのかなと思えてきます。
ですので、「廊下では普段から大きな声を出しませんが、とくに、教室で勉強をしている時には」となれば、ほぼ大丈夫だろうと思えます。
しかしながら、これがなかなかそうはいきません。
書けば書くほど押しつけがましくなり、また、読まれなくなるからです。

じゃあ、どうするんだと思えた人は、一番肝心なことは何かと考え始めます。
その答えは、「読まれて、なんぼでしょう!」となります。
掲示物の生命線は、「読まれる-読まれない」にあることが再確認されます。

では、読まれるにどう手を打つか。
それには、まず、「ひきつけることだ」となります。

江戸時代に「判じ絵」が流行しました。
例えば、「おなら」をしている絵と、「たき火」の絵をかいて、「蛇」と読ませます。「屁」と「火」だからです。
意味のつながらない、不安定な状態の絵が2つ並んでいるので、読み手は何だろうと思いしばし考えてしまいます。
「読まれる」世界へ引き込まれていきます。

この判じ絵は大流行し、今も雑学系の中で息づいています。
とは言え、立派な判じ絵は難度が高く、パッと見ただけだと分かりにくいという弱点を持っています。
そこを少しばかり改良して、見た瞬間にある程度わかる「文字+絵」に改良したのが、「お静カニ」です。

こういうのを掲示して、子ども達が「先生、面白いの貼ってあるよ!」と言ってきたら、「読まれてなんぼ」はクリアされています。
しかも、報告に来るぐらいになると気に入っていて、すっかり、「お静カニ」ワールドにはまっています。
頭の中にも、心の中にも、「お静カニ」は受け入れられ、肯定されています。
こういう子は、なんでそういう掲示物があるか、何を大切にしようとして掲示されているのかなど自分なりにわかっているか、分かっていなくても受け入れられる土壌のできている子です。
尋ねてみれば、自分なりの答えをとくとくと話してくれるかもしれません。

掲示物に理由もあった方が理屈の上では良いのですが、その掲示物に子供たちをひきつける味付けがしてあれば、「受け入れられる」という一番大事なところを満たすことができます。
その上で、掲示物を見て、掲示物の心をふと思えるといいですね。
「道徳読み」はいいですね。

 算数の授業で使える、愉快な「手づくり教材」が載っています。
表紙を見てもわかると思いますが、「お静カニ」に通じる、算数の手づくり教材がたくさん載っています。


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